表題の問いに直接的に答えるならば、長期的には、人間の人生単位の興味・関心に耐え得るのって、学問や芸術、スポーツなど、鍛錬の積み重ねによる向上が長期的に望め、かつディグり続けられるだけの分野的蓄積のある営みくらいでは?と思ったこと。短期的には、余暇で取り組むべき何らかのプロジェクトがあった方が日々の生活にハリが出る、と思ったこと。が理由です。
あとはこれも長期的な視点に紐付きますが、子育てを行わないのであれば人生の時間はかなり余るであろうことから、良い暇つぶしの手段を持っておいた方がよかろうと考えたこと。同じく子育てを行わないのであれば、後の世に残るレガシー的な何かをこしらえておくことが自身の幸福に直結するのでは、という推測(直観?)によるところです。結局、子育てが人生上発生し得ないことが大きな選択圧となっているわけですね。
でまあ、それじゃあ僕が取り組むべき(取り組めそう)な営みは何なのか?を考える中で、たぶん学問だよね、という結論に至った次第です。そこに深い理由はなく、20代後半くらいから量が増えた読書を通じて知的興奮を感じる学問領域も見つけていたし、ちょうどいいのでは、くらいのもの。絵を描いたり笛を吹いたり、スポーツに打ち込んだりするより僕にとっては現実的で楽しそうだと思えたのが学問なのでした。
領域の基礎的な知識(暗黙知も含めて)を身に付けた上で、研究論文をものする力が手に入れば、人生がかなり面白い方向に転んでいく予感があります。研究を生活費を稼ぐためのメインの仕事にしようとすることはハードルが高い一方、生活費は別の手段で確保した上で趣味的に論文を書いたり、非常勤講師をしたりといったことのハードルはそこまで高くなかろうと思っています。そして、たぶん楽しい。
そういうわけで、即物的なメリットは特段ない(ように思われる)人文系の大学院に通うことにしました。実務やお金稼ぎに直結する大学院のようにわかりやすいメリットは得られないものの、それとはまた別の大きな果実を得られるのではないかな、と考えています。
加えて言うならば、働きながら通える大学院を探したときに、選択肢として挙がるのが経営系や公共政策系など、実学系ばかりである状況にはやや閉口しました。推進されつつあるリカレント教育も、結局はそこで得たものを実務で活かしてくださいね、という建付けなのですね。厚労省Webサイト*1にも「学校教育からいったん離れたあとも、それぞれのタイミングで学び直し、仕事で求められる能力を磨き続けていくことがますます重要になっています。」としっかり明記されていて、あくまでも「仕事で求められる能力」なのね~、というガックリ感。そもそも仕事の役に立たなくてもいいじゃないと思うと同時に、人文系の諸分野だとしても、研究を通じて得られる汎用スキルは仕事にもそれなりに役立つのでは!?と叫びたくなりました。
■話題に関連して、人文学の意義についての参考図書
……「人文学は民主主義のために必要だ」との主張をヌスバウムが展開する本書。健全な民主主義を支える市民に不可欠な力は、権威を批判する力、少数派に共感する力、地球規模の問題を大局的に見る力。こうした力の根幹には、人間の傷つきやすさ(vulnerability:流行りの概念ですね)の認識があり、それが面倒なプロセスを経て実現しなければならない民主主義を支えることに繋がる、との論。人文学擁護の一つの論拠としてあり得るでしょう。
……人文学の擁護が本書の主眼ではないものの、終盤近い「第9章 研究と世界をつなぐ」の中に、「人文学は何の役に立つのか?」との問いに対する正面切っての応答が掲載されています。要約すると「人文学の究極目的は、世の中にある不平等や不正義を批判することによる社会変革、暴力の否定であり、世界から暴力を減らすための言論活動の価値が消えることはない」というもの。研究活動についての実践的レクチャーも有益な良書です。売れてるらしい(HOPE)。
*1:リカレント教育|厚生労働省。こんな具合に、あくまでも労働者がキャリアパスの一環として、自律的・主体的かつ継続的な学び・学び直しを通じて仕事で求められる能力を涵養するのがリカレント教育だそう。労働前提~。