定期的に集まる友人グループ(や同種の何らかの集まり)に関して、よく気が付いたり誘いの声をかけてくれる人が自然と店の提案・予約を引き受けることが多くなり、その結果事務的負担が特定の人に集中するという事態、結構な頻度で起こりませんか?
僕の周辺に限られるのかもしれないけど成り行きに任せているとそうした状況になりがちだよなと感じていまして、僕はそうした負担偏在が気になってしまう、自分に負担が集中すると腹が立つし、他人に負担が集中すると悪いなと感じてケアを入れたくなってしまう性分です。なので、負担偏在が一定期間続くと何らかの介入(と言うと大仰だけどLINEで「今回は君が予約やって(大意)」とか言うだけ。それなりに距離の近い友達なのでできるけど、そこまでの仲じゃないと言いにくいかも)を行い、結果偏在はある程度緩和される……fin.て感じなのですが、世の人がこの問題とどう向き合っているのか気になっています。
例えば、年に2回、お盆と年明けに、全国に散らばっている大学時代の友人たちの帰省タイミングに合わせた飲み会を定期的に行っているのですが、今年の新年会に関してはいつも幹事を請け負ってくれている人の予定が合わなくて僕が代わりに店の手配などをやったわけです。声掛け、予定の調整、店の手配、出欠変更への対応という一連の作業(こうして書き出すと大した手間ではないのかも…?と思えてきた)を、その人がいないと誰一人としてやり始める気配がなかったので仕方なしに僕が動いたのですが、何かを手伝ってくれるわけでもない上にレスが遅いなど非協力的な態度にイライラし、年始に開催された飲みの場では「人でなし」を連呼してしまったのでした。この会っていつも幹事をやってくれてる人や僕が声をかけないと実施されないわけ…?みたいな。黙って負担を引き受けられるだけの徳は今のところナシ。
負担偏在は、①構成メンバーのコミュニティへのコミット度の差、②構成メンバーの店選定・予約への心理的ハードルの高さの差、あたりに起因すると思われます。それらのパラメータがメンバー間でバラつくのは当然ですし、ある程度の偏りが生じること自体は仕方がないと思うものの、負荷がかかりがちな人が「自分ばっかりいつもお店の手配してる……」と不満に感じてしまわないくらいの分散は必要なのではないかと思うわけです。コミット度が低い人としては「自分がやるくらいなら面倒だからパスで」といった温度感かもしれず(それはそれで仕方がない)、そういう場合はコミット度が高い人に関係継続の成否がかかるため、その人が声をかけることがなくなるとあえなくコミュニティ解散、という帰結に至るのでしょう。
友人関係とはいえ、関係の維持・継続のためにはある程度のコミットメントと思いやり・気遣いが必要であろう、という何のことはない話なのですが、定期的に気にかかる出来事が生じるのでした。アリストテレスの言う「たとえ他の善を全て持っていたところで、友人がいなければ誰も生きてゆこうと思えないものである」には僕も同意するところで*1、低コミット派に向けては、友人関係維持のためにもうちょい努力しません?と今後も迫っていきたいです。