人生メモ

モロサー人生備忘録自分用

社会人院生日記(2)2025年5月

フルタイムでの労働、大学院の授業・課題、新たな恋人との関係構築……の三要素で日々が爆速で過ぎ去った5月でした。今月も元気に振り返って参ります。

 

研究指導からの研究ハイ

所属する研究科では最低月に一度の頻度での研究指導が推奨されており、入学後ひと月が経ったあたりで初めての研究指導を受けました。修論で取り扱うテーマに関して今現在考えていることを整理したレジュメを基に、指導教員と一対一で90分ほどの面談。

レジュメを作るに当たっては、入試の際に提出した研究計画書をベースに、そこから関連文献を読み進める中で見えてきたことを肉付けして整理したわけですが、この作業が結構楽しかったです。勉強したことが着実に血肉になっていっている感じ。

指導教員とのやり取りを通じてヒントを色々と得、輪郭がよりクリアになった部分もあり、滑り出しとしては順調なのではないでしょうか。研究指導後にちょうどGWがやってきて時間的余裕ができたのもちょうどよく、モチベが高まったタイミングでぐぐっと研究が前進した感触を得た5月前半なのでした。

 

目的のある読書、よい

修論で取り扱うテーマが決まって、論文内で行う論証の方向性が見えてくると、それに伴って目を通すべき書籍・論文がある程度クリアになるとともに、その数が芋蔓式に増えていきます。しかし、研究に必要な情報を拾ってくるという意味で読む目的が明確であるため、大量の文献に目を通すのも不思議と苦ではないかもしれない、と感じています。

院に入る前の自分一人の勉強では、なんとなく身に付けたい知識に関連する書籍を読んで、理解して……を繰り返すばかりで、知識が横展開したり時には深まったりもするものの、全体の方向性を統合するテーマが不在のため、どこか場当たり的な、行き着く先の見えない作業といった感じが漂っていました。基礎的な知識を付けるために必要な読書ではあったのでしょうけど。

それが、研究テーマを持った今は一転、一つひとつの読む作業の向かう先が見えているので迷子にならないですし、読むべきものが何かであるかがハッキリした状態は(もちろん、読んでみたら自分の研究にとってはあまり必要ではなかった、というケースもそれなりにありますが)、ストレスを軽減してくれることを実感しました。

 

英語はやっぱり慣れ

仕方のないことですが、読まなければいけないものの大半は英語で書かれており、未翻訳です。そのため、学部生のとき以来、十数年ぶりに英語を大量に読む日々を過ごすこととなりました。

取り掛かり始めた頃は、「丸一冊英語の本を読むの、あまりにもしんどいのだが……?」というのが正直な感想でした。なのですが、慣れとは不思議なもので、毎日のように英文に目を通し、英文講読の授業も一コマをマストで時間割にぶち込まれる関係上、自然英語との接触時間が長くなり、それに従って、英文を読むことに徐々に慣れてきつつあります。

こんなに短期間で変わるもの?と自分自身驚くのですが、言語ってやっぱ慣れだよな〜、とも思います。もともと英語が苦手な方ではなく、受験英語に助けられている感が強いです(高校で習う英文法が頭に入っていれば読む作業に関しては困らないの、結構すごいことだと思う)。

 

生成AIに助けられている

4月の日記でも書きましたが、相変わらず生成AIが大活躍しています。というか、依存の度合いは日々高まるばかりです。

最近の使い方は大体下記のような具合。

  1. Elicitでトピック検索を行うことで、必要な文献を洗い出す(Google Scholarでの検索、既読文献の文献一覧で見つけた論文に、抜け漏れがないかを確認)
  2. Elicit上で必要と判断した文献を、NotebookLMに投げることで要約を生成し、必要かどうかを改めて判断する
  3. NotebookLMでの確認を経て必要と判断した文献を、Notionの文献リストに追加し、Claude(ないしはChatGPT)で和訳・見出しごとの要約を生成する
  4. Claudeが生成した要約で重要度が高いと判断した論文は、和訳本文を通読する
  5. 和訳本文を通読して引用する可能性があると判断した論文は、重要箇所を中心に原文で通読する

一連の作業にAIを使いまくり、もはやAIなしでは研究ライフが成立しないと言っても過言ではありません。今利用している他にも使えそうなサービスがあれば取り込んでいこうと、積極的にいろいろなAIサービスを試してみています。直近の課題は文献管理をどうするか(脱Notion?)。

elicit.com

notebooklm.google.com

www.notion.com

claude.ai

 

2年で博士前期終えたくなってきた

研究に伴う作業が思っていた以上に楽しく、早くジャーナルに自分が書いた論文を投稿してみたい…!との思いが強まっています。ですので、もともと長期履修制度を利用して3年間で博士前期課程を終えるつもりだったのですが、早く終えて博士後期の学生になりたく、予定を前倒しして2年で卒業することを検討するようになりました。

2年で卒業しても3年で卒業してもトータルの学費は変わりません。そのため、1年余裕をもって修論執筆を進められる長期履修制度はフルタイム労働をこなす学生にとっては有難い制度ではあります。しかし一方で、修士を取るのに3年もあるとちょっと長すぎると言いますか、今のペースでいくと無駄な期間が発生してダレてしまう可能性が高そうだとも考えています。

必要単位の取得はややキツいけれど、トータルで見ると2年で博士前期をさっさと終わらせて、自由に論文投稿できるようになるのがよいのではないかな、と現時点では考えるようになった次第です。どちらを選択するのか、手続き上はまだしばらく猶予があるため、引き続き検討します。


こんな感じで、今のところ比較的順調な社会人院生ライフ。疲労を溜めすぎないように、適宜休みながら進めていきたいと思います〜。

『魔法少女まどか☆マギカ』におけるインキュベーターの行為主体性の不在と、その帰結

カントの著作を講読する授業での話題から思いついたので、メモ。

以下、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(以下、まどマギ)のストーリーの核心部分に関するネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の倫理が通用しない存在者

まどマギ」の作品世界における地球には、インキュベーター(通称キュゥべえ)と呼ばれる地球外からやって来た知的生命体が登場します。彼らは人間よりも高度な文明を持ち、目的をもって地球を訪れています。

キュゥべえアピアランス。かわいい

その目的とは、人間(特に第二次性徴期の少女)の感情が希望から絶望へと相転移する際に発生する膨大なエネルギーを回収し、減少し続ける宇宙全体のエネルギーを補いその寿命を伸ばすというもの。この計画自体は、超長期的に見れば人類にも恩恵があるといいます。彼らがわざわざ宇宙の辺境(彼らにとっての)である地球にまでやって来るのは、彼ら自身は感情を持たないからです。

インキュベーターには、人間が社会生活を通して通常獲得する規範が通用しません。例えば、魔法少女インキュベーターとの契約時に、肉体と魂を分離され、魂は小さな宝石のような結晶(ソウルジェム)に閉じ込められることになります。魔法少女は魂のない肉の塊を本体であるソウルジェムによって遠隔操作する形で生きながらえることとなるのです。

こうした処理は魔法少女の魔女との戦闘を有利にするためである、とインキュベーターは述べます。痛覚を遮断するといった操作が容易になるため、魔力さえあれば破損部分をすぐに修復し、戦闘を継続することができると。

しかし、魔法少女当人にとってみれば、インキュベーターによるこのような処理は余計なおせっかいでしかありません。通常の人間の感覚からすると、美樹さやかの言うように「ゾンビ」にされたと感じても仕方がないでしょう。一方のインキュベーターは「便利なのに何が不満なの?」といった反応を示します。

 

単一個体には重きが置かれない

このように、人間の持つ規範(倫理)が通用しないインキュベーターたちはまた、個体としての自己を重要視しない存在としても描かれます。

インキュベーターの邪悪さ(あくまでも人間にとっての。正確に言うならば「話の通じなさ」でしょうか)に気づいた魔法少女インキュベーターのある個体を殺害した際、すぐに現れた別の個体は、死体を経口で回収することで種全体のリソースのロスを最小限にとどめようとします。「もったいないじゃないか」と言いながら死体を口にする姿は、視聴者である人間の目に異様な印象を刻みつけます。

別個体の死骸を経口回収するキュゥべえ

また、全てを知った鹿目まどかとの会話の中で、「私たち、消耗品なの? あなたたちのために死ねって言うの?」と問う彼女に対し、インキュベーターは「今現在で69億人、しかも4秒に10人ずつ増え続けている君たちが、どうして単一個体の生き死にでそこまで大騒ぎするんだい」と述べ、「この宇宙のために死んでくれる気になったら、いつでも声をかけて。待ってるからね」と明るい調子で締めくくります。

こうした言動から、インキュベーターは種全体の存続は気にかけるけれども、種を構成する個々の個体については重視せず、現代社会の人間が各個体に備わっていると考える人権や尊厳といった観念もまた持たないものと想定されます。すなわち、インキュベーターの単一個体は、人間の個体が持つのと同じような行為主体性やそれに伴う責任能力を有さないのだと考えられるわけです。

 

人間が自然発生的に持つこととなる規範を持たない(それとは異なる規範の体系を持つ)インキュベーターを、単一個体を重視しない存在として描くことは、整合的であり、作品世界を説得的に提示することに一定程度寄与するものと考えます。何故なら、人間が現に有している規範体系が獲得されるのは、人間の各個体が行為主体性を持つことによると考えられるからです(行為主体と行為主体の関わりの中で、現行人類的な規範は形成されていく)*1。もちろんインキュベーターに感情がないことも、そうした規範形成に影響しているでしょう。

そんなわけで、やはり「まどマギ」はSF創作物としての強度が高いよな〜と感心し、取り急ぎメモした次第なのでした。おしまい。

*1:こうしたことに思い至ったのは、カントによる「哲学というものがひとつ以上ありうるかどうか」との問いかけ(『人倫の形而上学』序文)が契機です。カント自身の考えは、「哲学の主張の複数性それ自体は認めながらも、自身の構想にしたがって何らかの哲学体系を提示する者は、自身の哲学体系こそが真の哲学であると主張せざるを得ない」くらいにまとめられるかと思われます。以下、議論が粗雑にはなりますが、カントの考えはクーン的発想(異なるパラダイム間は共約不可能)なのかポパー的発想なのか(反証を通じた連続的改良により、真なる理論に近づいていく)を考えたときに、カントは最終的には一つのパラダイムに共約が可能と考えていそうであり、その根拠をたどると、理性→行為主体性→規範体系といった流れで、人間が人間である限り概ね同一の規範体系に至ることが考えられます。人間の倫理と共約不可能な存在者がいるとすれば、対話は不可能で、殺し合うしかないのかもしれない……というところからインキュベーターを想起しました。まどかは宇宙の法則を書き換えることで、インキュベーターと人類の関係性の在り方を変え、平和的に(?)その対立を処理したというのが「まどマギ」のラストでしょう。

社会人院生日記(1)2025年4月

恋人という名の壁打ち相手を得てしまったがために、そのとき考えていることを吐き出したい欲求がひと段落、すっかりブログを書く気力が失せてしまった2025年3~4月。

新年度に突入し、大学院が始まりました。

今月から月に一度、フルタイムで働きながら大学院に通う中で考えたこと・感じたことを「社会人院生日記」と題して記録に残そうと思います。

ひとまずは今のところの所感を小トピックに区切りながら書き留めます。

 

研究科

僕が入学したのは都内私立大学の博士前期課程(=修士課程)。分野としては人文学が中心的ですが、社会科学っぽいことをやる人もいるようです。

4月に入ってすぐの頃に研究科全体のガイダンスがあり、その全容を把握できました。修士の学生が20~30人、博士の学生が20人ほどと、想像していたよりも人が多く賑わいがありました。

研究科選びに当たって重視していたのは教育へのコミット度の高さです。この点に関しては、ガイダンス時点で十分クリアしている印象を受け安心しました。入試前に行われた説明会での印象とのズレは感じず。所属学生に研究者としての基礎をしっかり身に付けさせることへの前向きなスタンス・雰囲気があり、それがカリキュラムにも反映されている、といった具合です。大学院のため知識面に関しては自分で勝手にどんどん学ぶのが基本ではありますが、外せない基礎的な部分を教員サイドがフォローしてくれるかどうかに関しては、研究科によるバラつきが大きい印象です(経験上、明らかにやる気なさそ~…という研究科もあるイメージ)。

総じてポジティブな印象を受けたので、よかったです。

 

ゼミ(指導教員)

受験時に提出した研究テーマによって、各院生には指導教員が割り当てられます。

指導教員と学生の相性、指導教員の教育へのコミット度はかなり大切(博士後期課程に進むつもりならなおさら)かと思いますが、この点に関してもポジティブな印象を受けました。自身も精力的に研究活動にリソース割きつつ、院生指導にも前向きであり、比較的若い(40代)先生なので、今のところ不安はあまりありません。相性についてはコミュニケーションを重ねてみないとわからない部分もあるよなと思いつつ、互いに大人なのでそこまで問題になることもなかろう…とは思っています。

ガイダンス当日にはゼミでの飲み会もあり、ウェルカムな空気を感じられて嬉しかった&楽しかったです。若者は、元気。

 

コマ数

博士前期課程は2年で終えるのが通常のところ、フルタイムで働く人間は長期履修制度を利用して3年をかけて修了することが許されています(学費は2年分でOKの神仕様)。

この制度のおかげで、1~2年目に学期あたり週3コマ程度を履修していればムリなく卒業できる予定です。僕はひとまず週4コマを入れてみました。自身のリソースを考えるとこのくらいが限界なのかな~と考えています(初めは5コマ取ろうとしていて、冷静になって減らした)。

月曜日だけは2コマ連続で授業があり、仕事後に2コマは結構キツいなというのが正直なところです。1コマだと割りと余裕というか、ちょうどいいリフレッシュにさえなる感があるのですが…。

 

授業負担

コマ数に関連して。

授業にもよりますが、事前の予習・復習に必要な時間が結構多いです。標準的には1回の授業当たり180分程度の予習・復習が必要とされていますが、実際に授業を受けてみた感じでは、それだけでは済まない回もそれなりにありそうだな~という印象です。自分の発表がある回などは準備も大変ですしね。

もちろんうまく手を抜いて最大効率で単位を取ることだけを考えれば、より軽い負担で済ませることも可能でしょう。しかし、一定の学識を身に付けたく学校に通う以上それでは意味がないですし、手抜きになるくらいならその授業はとらなくてよいかなと。

今のところ自分の研究や興味・関心にかすりもしないような授業はとっていないので、その意味ではハッピーなのですが、授業を受けるたびに関連して読みたい文献が増えていく一方でもあります。

授業料を自分で払っている上に仕事の合間に時間をやり繰りして通ってるんだし…と思うと、自然と身が入ります。まあ、学期始めでやる気があるだけの可能性も否めないですが。

 

新しいコミュニティ、人間関係

十数年同じ会社に所属して働いていたので、新しい所属ができた!というのがかなり新鮮です。なんとはなしにフレッシュな気分。キャンパスに行くと私服の若者だらけで自由の風を感じるというのもあるかもしれません。

その上、研究科は興味・関心の似通った人が多く含まれるコミュニティでもあるため、日常生活の中で出会う人には話せないトピックについて気軽に、定期的にシェアできるということが精神衛生上とても良いように今のところは感じています。オタ仲間が急にすごい数増えた、みたいな。

 

テクノロジーの発達、すごい

すごいです。生成AIの有用性は言うに及びませんが(最終的成果物を生成AIに頼るのは論外だけど、各種時短に大きな威力を発揮する。とりあえずChatGPTに課金)、プロジェクト・タスク管理に仕えるサービス notion がかなりいい感じです。ページ内にデータベース構築ができるため、授業ノートも文献管理も notion でまとめて行っています。

あと、学内システムのオンライン化も僕が学部生をしていた頃に比べて進んでいて、授業資料をweb経由で事前にダウンロードしたり、授業によっては録画内容を配信してくれたり、効率的に学習に臨めるよう周辺環境が整えられているイメージです。いろいろな分野の入門書も昔に比べて充実しているし、勉強したい人にとっていい時代になりましたね。

www.notion.com

 

真面目なひと、多い?

まだ入学して間もないですが、人文系の院、真面目な人がかなり多いのでは?と思っています。

というのも、実学系の院とは違って金銭的・現実的メリットに直結しにくい中、それでも自身の興味・関心にしたがって進学してきた、というタイプの人が多く、そのため学習意欲も自然全体に高くなる傾向にあり、授業への参加度・コミット度が高く議論が活発に盛り上がりやすい…といった正のスパイラルが発生しているのでは、という気がしています。

当然と言えば当然なのかもしれませんが、学部の頃に経験したグダグダなゼミ…のようなものが現前する気配が今のところありません。

 

一人で勉強するのって限界あるね

院試合格から入学まで半年近く時間があったにもかかわらず、入学前に読んでおきたいブックリストを半分もこなせないまま4月がやってきてしまいました。なので、コレこのまま大学院に入学してモチベ的に大丈夫なのか…?と自分のことを心配していたわけです。

が、しかし。実際に入学して、周りの人も研究に向けて学習を進めている中、授業では浴びるように課題を言い渡され、授業内でも考えることや発言を求められ……ということを日々繰り返していると学習意欲がむくむく湧いてきて、リフレッシュ時間を除く空き時間は研究に関連したことに充てるように自然となっていきました。

アカデミックな機関に所属して、物理的に、定期的にそこに通うことのもたらす影響の大きさを実感しています。

 

そんなわけで、始まりを迎えた社会人大学院生生活。時々の考えをブログにしっかりメモしていこうと思います。